「生活者としての外国人」に対する日本語教育の課題

 約2年半、毎週末日本で生活する外国人労働者(生活者としての外国人)にボランティアで日本語を教えていた。また、国際交流の一環として、文化紹介などのイベントの開催・運営にも携わった。きっかけは、日本語教室の開催場所が自宅から近かったのと、働いている外国人の日本語指導に興味があったからだ。わたしは当初「地域の日本語教室」に対し、学校教育型の日本語教育ではなく、協働学習のようなイメージを持っていた。そして、日本語教室では異文化交流や地域社会への参画が目指されていて、学習者と指導者の関係は対等であるイメージも持っていた。実際に平成19年度に国から委託調査研究を行った日本語教育学会の報告書においても、地域日本語教育に期待される機能として、下記の例を挙げている。
1)自分が自分として認められる場―居場所
2)よりよい生活を確保するために必要な情報が入手できる場
3)異文化理解の場
4)問題解決の場
5)社会参加を実現していく場
しかし、現実はその逆だった。

【個人塾化している地域ボランティアによる日本語教育】
 まず、ボランティアを始めて驚いたのが、日本語指導の内容の中心がJLPT対策(試験対策)だったことだ。また、使用していたテキストも日本語学校のものと同じだった。その教室では、学習者が毎週必ず出席することを前提にした積み上げ式の日本語指導を行っており、学習者と指導員も対等というよりも教師と生徒という上下関係であり、学習者自身は塾に通う感覚で教室に来ている者が多いように思えた。それが顕著に現れていたのが、交流イベントだ。もちろん学習者の大半は働いているので忙しいのは理解できるのだが、イベントがあっても、指導員からお願いしないと協力しない学習者が大半だった。何のための、誰のための交流イベントなのか、疑問に思わざるをえなかった。おそらくこの傾向は、多くの地域ボランティアによる日本語教室にあてはまるのではないだろうか。話題・機能シラバスに基づく学習者のニーズに合わせた協働学習による指導よりも、試験対策などのほうが日本語教育のモデルとして参考にしやすいことが一因のように思う。また、学習者にとっても目標が明確で、教える側の負担も少ないのかもしれない。その延長線上にイベントがあるため、学習者による賛同が得にくいのだろう。

【当日連絡なしに休む学習者が大半】
 また、毎週決まった時間に授業を実施していたが、当日に突然学習者が欠席したり、連絡なしに来なくなったりするなど、ボランティアの指導員しか教室にいないというときも多々あった。学習者の大半は働いているため、突然仕事が入ったり、寝坊してしまったりなどすることは当然あり、そもそも定期的に教室に通うのが難しいのが彼らの現状だ。週に1回しか休日がないにもかかわらず、遠方から通う学習者もいた。本来であれば、彼らの都合の良い時間や場所で教室を開講し、彼らの個別のレベルやニーズに答えた授業を実施するのが一番良いのだろうが、それをするだけの余裕もコストも地域ボランティアにはない。そのことは重々承知してはいるものの、結局誰一人教室に来ない日があると、教えるほうもむなしくなってくる。学習者の中には、私たちが無償で日本語を教えていることを知らない者もおり、協働学習以前の問題であるように感じた。

【日本語教室に通えるのは一部の外国人だけ】
 日本においては、生活者としての外国人に対し、公的な日本語教育は保障されていない。その役割は、地域におけるボランティア団体に丸投げされてきた。今後もその状況は続くだろう。しかし、残念ながら、地域におけるボランティア活動で、日本語教育が必要な外国人全員をカバーできているかというとそうではない。むしろ、日本語教室にやって来るのはその一部にしかすぎない。交通の便が良い場所に住み、学習意欲が高く、週末に休める職に就いているような人たちだ。下記の表によれば、1~8のような条件を持つ外国人の場合は、日本語教室には通えない、あるいは通わない。
1.日本語能力が低い
2.地域の同胞と離れたところに住んでいる
3.同居者と日本語を使わない
4.職場で日本語を使わない
5.就労形態が不安定・不規則
6.交通の利便性が悪いところに住んでいる
7.子育て・介護などをしている
8.日本には短期滞在のつもりで来ている

米勢治子「地域日本語教室」の現状と相互学習の可能性―愛知県の活動を通して見えてきたこと―名古屋市立大学大学院人間文化研究科『人間文化研究』抜刷6号2006年12月

 上記からも、すべての外国人のニーズに地域のボランティアで答えることには限界があることは明らかだ。また、教室での日本語教育の内容も理想と現実の乖離があり、地域社会との交流ができている団体の数は多くないだろう。

コロナ禍で自己都合退職にさせられ、失業給付を受給できない労働者が急増

  離職理由が「自己都合」か「会社都合」かによって、失業給付の受給条件が変わってくる。最近、コロナの影響を受けて閉店・経営悪化で解雇されたのに、会社から自己都合退職にされて、失業給付を受取れない非正規の人が増えているらしい。労働者側も、失業給付の受給条件について十分な知識を持っていないことも多く、ハローワークに行って気が付くことも多いようだ。ただ、問題なのは、会社と交渉したとしても、労働者側が泣き寝入りするパターンが大半だということだ。離職証明書を提出するのは会社側(事業主)で、いくらハローワークを通じて労働者が離職理由について異議があると訴えたところで、会社側が訂正することはない (労働者が異議を唱える制度はあるが機能していない)。会社都合退職に訂正するには、労働者側による「離職理由を裏付ける客観的な資料等の提示」が必要になるが、そのような資料を準備できる労働者はほとんどいないだろう。

【自己都合退職の場合】
・原則として、離職前2年間に被保険者期間が12か月以上必要。
・失業給付の支給期間は、90日~150日 ※年齢、被保険者期間による。

倒産・解雇等による離職者(就職困難者を除く)図表

【会社都合退職の場合】
・離職前1年間に被保険者期間が通算して6か月以上必要。
・失業給付の支給期間は、90日~330日 ※年齢、被保険者期間による。

倒産解雇等以外の事由による離職者(就職困難者を除く)図表
離職理由の判断手続きの流れ
ハローワーク インターネットサービスhttps://www.hellowork.mhlw.go.jp/insurance/insurance_basicbenefit.htmlより

 会社に不満があれば裁判を起こすことも可能だが、裁判に持ち込むと時間と手間、さらにお金もかかってしまう。会社との交渉はあきらめて、次の転職先を探す人が多い。そもそもなぜ会社側は、会社都合にしたがらないのだろうか?おそらく、下記の理由によると思われる。

・一部の助成金の対象外となる
・裁判で訴えられる可能性がある
・ブランド力や社会的信用を落とす恐れがある
解雇予告手当金を支払う場合もある
※通常解雇する場合は、30日以上前に解雇予告をしなければならない。もし解雇予告をせずに解雇する場合は、解雇者に対し手当を支払わなければならない。

 雇用形態や働き方などが多様化する今、現在の雇用保険の補償からこぼれ落ちてしまう人たちを見過ごしたままでいいのだろうか。

大半の日本語教師は質が低いのか?

 日本語学校は進学校であり、留学生にN1・N2レベル相当の日本語力を身につけさせることがミッションである。しかし、学生の大半はそのレベルに到達していない。日本語教師の質が低いのではないか?と言われることが多い。本当にそうだろうか?

 非常勤も専任講師も日本語教師養成講座(実習が実施されることが多い)を修了している人が大半で、またこれまで私が出会った教師の大半は熱意のある人ばかりだった。仮に教師の質が低くなっているとすれば、その原因は、教師そのものではなく、賃金の安さと日本語業界の構造にあるように思う。

【重労働・低賃金】
 残業代などほとんど支払われないが仕事量が多く、授業の質を追求するのが難しい環境にあることが一番の原因であるように思う。授業のコマ数に合わせた時給制で低賃金のため、必然的に非常勤の教師の構成比は、稼ぐことが目的ではない60歳以上の人や専業主婦が多くなっている。ただ、退職者で専業主婦であるがゆえに授業の質が低いかといえば、決してそうではない。むしろ、稼ぐことが目的ではないため、熱意のある人が多く、これまでの仕事での経験や子育ての経験などを生かし、学生から人気のある教師も多い。

【授業の質より学生数】
 また、日本語学校が乱立し、留学ブームで多くの留学生が日本に押し寄せる中、利益を追求し、ブローカー経由で募集する学生数を大幅に増やす日本語学校が増えているように感じる。しかし、学生数を急増させると、学生管理が大変になり、また授業も効率性が重視されるため、曜日とコマ数ごとに担当者とカリキュラムが決められ、教師はそれをこなしていくだけになる。授業の質を追求するよりも、大量に学生を入学させ、卒業させるほうが、学校にとって利益になるような構造になってしまっている。ブローカーにお金を払えば留学生が募集できるため、他の日本語学校にはない特色を作ろう!と頑張る学校は少ないように思う。この状況を変えずに、教師の質が低いから研修を必須にしようなどという議論は見当違いだろう。日本語学校の経営者からすれば、日本語教師に専門性は求めておらず、彼らにとって日本語教師はいつでも代替可能な人材なのだ。

【出稼ぎ目的の留学生】 
 教師の質が低いから、留学生の質も低くなるという声も聞く。しかし、そもそも近年急増している新興アジアからの留学生の大半が出稼ぎ目的であり、日本語能力が低い。日本では留学生にアルバイトをすることを認め、留学生30万人計画のもと、大量の留学生の受け入れを進めてきた。日本語が全くできない非漢字圏の学生が来日し、1週間に28時間もアルバイトしながら2年間でN1・N2に合格するのは相当ハードルが高い。アルバイト漬けで寝不足になりながらも、必死に勉強している学生も多いが、漢字の取得がネックになり、初級レベルにとどまる学生も多い。そもそも日本語0で来日し、母語を介せず日本語で授業を受けるような学生は、基礎ができていないため、その後中上級レベルには到達しづらい。

  熱意のある日本語教師ばかりを見てきた私からすれば、教師の質が低いと言われるとどうしても現状についても知ってほしいと感じてしまう。

 なお、理想的な日本語教育は、初級に関しては母語を介して学ぶことだ。現在、日本国内の日本語教育では「直接法」、つまり日本語を日本語で教えることが主流である。中上級レベルであれば効果的だが、初級の場合は母語と比較できないため、理解が不十分になる場合が多く、また発音が悪くなるケースが多い。もし質の良い留学生を確保したいなら、現地に日本語学校を創設し、そこで現地の人を雇って日本語の初級教育を行う。その後、日本へ留学させるというのが一番理想的な流れだろう。あるいは、来日後、初級の授業に関しては留学生の母語を話せる人を教師にし、クラスも国ごとにわければよいが、大量に学生を入学させて利益を上げたい日本語学校側からすれば非効率なのだろう。

出井康博『移民クライシス』角川新書(2019)

 以下、本書を読んだ感想。

 途上国のための人材育成・技能移転といった建て前で、実際は技能実習生は単純労働者として日本で働いている。一部の企業で人権侵害が行われているなど、マスメディアで取り上げられることが多い。しかし、これまで留学生にスポットがあたることはほとんどなかった。その意味で、この著書は積極的に留学生や日本語学校について調査し、まとめている。その点で大変意義があるように思う。なぜ、技能実習生としてではなく、留学生として日本に来るのか?おそらく、本書を読んだ理解では、技能実習生は3年間しか働けないが、留学生であれば、日本語学校2年、進学すれば専門学校でさらに2年、大学の学部研究生やサテライト校などであればさらに数年から4年働くことができるからなのだろう。

 「外国人なしでは日本は成り立たない」という前提に対し、筆者は疑問を投げかけている。日本人が望む「便利な生活」は低賃金・重労働に耐えて働く外国人の存在がなければ成り立たない。また、人権派が唱える「共生」は、家族と来日し、日本人と同様の待遇で働き、移民になることだが、筆者の取材経験では日本で移民になることを望んでいる外国人労働者はほとんどいなかったと述べているのが印象深い(おそらくここで言う移民とは永住目的の外国人)。たしかに、わたしが出会ってきた生活者、留学生たちの中にも、永住を望んでいる人はほとんどいなかった。その大半が、短期間日本で働いてお金を稼ぎ、母国へ帰って家族と暮らすことを希望していた。「共生」できれば、低賃金・重労働を押しつけてもよいのだという発想に警戒を鳴らしていることは、重要な指摘であるように思う。

 以下、細かい内容になるが、少し疑問に感じた箇所について述べる。

疑問点①「除籍」で適正校になれるのか?

 日本語学校は入管から適正校から非適正校へとみなされることをおそれるため、不法残留になりそう、あるいはなった学生を「除籍」にする。「退学」は日本語学校の責任とみなされるが、「除籍」であれば責任が問われない。(p86)

 勤めていた日本語学校では、問題のある学生は「退学」にしていた。学校に来ない場合は、担任が自宅訪問をして退学届けを記入させ、帰国日には穴の開いた在留カードの写真を送るように学生に伝えていた(かつては、空港まで学生を連れて行き、飛行機に乗るまで監視するようなこともしていたみたいだが、人道上問題があるということで今はしていないらしい)。勤めていた学校では基本的に「除籍」扱いにしているところを見たことがないので、本当に正式な退学手続きを取らずに名簿から削除するだけ(除籍するだけ)で責任が問われないのかは少し疑問に思った。それが本当なら、そちらのほうが楽なので私が勤めていた学校でも退学にせず除籍扱いにしていたはず。

疑問点②他の日本語学校に転校できないのか?

 日本語学校には留学生を強制送還する権限がある。学校に問題があっても、転校すら認められないのである。(p96)

 筆者の言うとおり、学費の取りはぐれを防ぐため、悪質な日本語学校は強制送還すると脅して留学生を転校させないのだろう。注意点としては、転校自体はできないわけではない。日本語能力が低いため、自分で転校するための情報を学生自身が集められないというのが正しい。実際に他の日本語学校からの転校生も在籍していたし、他の日本語学校へ転校したいという学生もいた。ただし、転校したいと言って実際に転校したケースはかなり少ない。

疑問点③N1・2合格者がいないと悪質な日本語学校なのか?(教育の質は試験の合格者数でわかるのか)

 専門学校などの授業についていこうとすれば、最低でもN2の日本語レベルが必要だが、日本語学校全体(文科省の資料によると366校が進学者数を公表)の半数以上がN2の資格を持たずに専門学校などに進学している。こうした進学者は偽造留学生である可能性が高い。(p102)

 本書では、おそらく日本語学校の8割が偽造留学生を受け入れている悪質な日本語学校である可能性が高いという記載があった。たしかに可能性はあるだろう。しかし、注意点もある。ここで問いたいのは、教育の質は試験の合格者数でわかるのだろうか?ということだ。たしかに進学をさせることが目的であれば、N1・2レベルの日本語の取得は必須である。しかし、試験の合否と進学者数との乖離だけをみて、悪質かどうかを判断するの難しいのではと感じた。

 まず、漢字圏出身者であっても、「英語ができないから」「国内の大学に進学できないから」「親に無理やり行けと言われた」などといった理由で日本留学に来る学生が多く、あきらかに以前よりも勉強のできない学生が多い。要するに経済がある程度発展した国の留学生からすれば「日本に魅力がない」のだろう。N1・N2に簡単に合格できるようなエリート層は日本を選ばない。

 また、近年留学ブームによって急増した 非漢字圏出身の学生にとって、「漢字」の習得がかなり大きな壁になっていることはあまり知られていないように思う。これまで留学生の中心は漢字圏である中国や韓国だったが、今は非漢字圏のネパールやベトナム、ミャンマーなどのアジア新興国が中心だ(ベトナムは漢字圏と言われるが、中国や韓国に比べるとほとんど知識がない状況に近い)。日本語教師側としても、漢字の基礎がない学生たちへの漢字指導に苦慮しており、ほとんどの日本語学校でうまく教えられていないのではないかと予想される。漢字が克服できなければ、初級レベルにとどまる。漢字ができないことで、結果的にアルバイト漬けになり(実態として偽造留学生となってしまう)、日本語力が低いまま進学してしまう学生が多いように思う。彼らにとっては、N1・N2の合格はかなりの難関で、N3に合格していればかなり優秀な部類に入る。

 さらに、日本語教育業界では、近年アクティブラーニングや国際交流基金によるCan-doなど、使える日本語を学ぼうという風潮が強い。この影響で、試験対策というよりも、コミュニケーション力養成を重視した授業を行っている日本語学校もある。また、N1・N2に合格しているのに全く話せない学生もいれば(このような学生は大学の面接試験で落とされる)、N1・N2相当レベルで級保持者ではない学生もいる。まじめに勉強していても、試験が苦手でなかなか合格できない学生もいる。また、大学ではJLPTよりも日本留学試験の点数を重視する。このことからも、N1・N2の合否でもって悪質かどうかを判断するのは難しいように思う。

④最後に(日本語学校は悪なのか?質の良い学生を集客するにはどうすればいいのか?)

 本書の言うとおり、留学希望者の日本語能力が低いにもかかわらず、受け入れている日本語学校が大半であることはたしかだ。学生がいなければ日本語学校は経営できない。日本語レベルが低い学生を取らざるを得ない状況だといったほうがよいのかもしれない。日本語学校が乱立し、学生の取り合いになっていることも事実で、留学生側もブローカー経由で留学することから、自ら日本語学校を選んで入学してくる学生は多くない。私からすれば、どの日本語学校も特色がほとんどなく、そのような状態でも留学ブームに乗っかってどうにか経営できてしまう構造に問題があるように思う。民間企業が営利を追求することは当然で、むしろ学生数を確保しようとするのは自然な流れであるように思う(日本語学校の大半は民間企業)。

 以前、どうすれば質の良い学生(来日時点でN1~3相当のレベル)が来るのか、総務の先生と話したことがあった。その先生いわく、「立地条件が良く(塾へのアクセスが良く)、日本国内の有名大学への進学者を数多く輩出しているような日本語学校に、日本語力の高い留学生が集中している。一度その流れを先に作ってしまえば、実績でブローカー経由で留学希望者にアピールできるので、良い学生が集まる。しかし、そうでない学校には実績がないので日本語力の低い学生しか来ない。」どの日本語学校にもあまり特色がなく、ブローカー頼みになっている限りは、その流れを変えることはなかなか難しいだろう。